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【石川式攪拌擂潰機】- まぜる物語 株式会社石川工場の歴史-

その他

創業127年 石川式攪拌擂潰機 を製造販売する 株式会社石川工場 の歴史を紹介いたします。

弊社は1897年創業以来、一貫して”まぜる”にこだわって技術開発を行ってきました。現在の経営ビジョンも「撹拌擂潰を究める」であり、飽くなき探究心を持って撹拌擂潰を究めて参ります。そこで『会社の歴史』、『技術開発の歴史』、『将来の自動乳鉢』について、”まぜる物語”と題し、皆さんに知っていただきたいと思い、それぞれまとめました。是非ご一読ください。

このカタログについて

ドキュメント名 【石川式攪拌擂潰機】- まぜる物語 株式会社石川工場の歴史-
ドキュメント種別 その他
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取り扱い企業 株式会社石川工場 (この企業の取り扱いカタログ一覧)

このカタログの内容

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- まぜる物語 株式会社石川工場の歴史- ■株式会社石川工場の歴史 弊社は1897年創業以来、一貫して”まぜる”にこだわって技術開発 を行ってきました。現在の経営ビジョンも「撹拌擂潰を究める」であり、 飽くなき探究心を持って撹拌擂潰を究めて参ります。そこで『会社の 歴史』、『技術開発の歴史』、『将来の自動乳鉢』について、”まぜる 物語”と題し、皆さんに知っていただきたいと思い、それぞれまとめまし た。是非ご一読ください。 100年ほど前の自動乳鉢 ■創業 創業者は石川平蔵(いしかわへいぞう)です。静岡県賀茂郡仁 科村で生まれた石川平蔵は、三田四国町の西隣にあった海軍造 兵廠(芝区赤羽町)から田中製造所(のちの芝浦製作所)に 勤務しました。石川平蔵は無類の発明家であったため、明治政府 より水産練り物向けの擂潰機の開発要請を受け、田中製造所を 退職し、1897年(明治30年)に工業化の著しい三田四国町 に石川工場を設立しました。当時の「工場」には、「製作所」という 意味があり、石川工場という社名になったと言われています。 初代社長 石川平蔵 当時の水産練り物は、魚の頭とひれ、内蔵は取り除きま すが、骨と一緒にすりつぶしており、現在のような魚の身だ けをすりつぶす機械よりも大きなトルクを必要としていまし た。擂り潰しの間に魚に熱が伝わらないように、石臼と木 の杵先が用いられていました。石臼は熱容量が大きいた め、摩擦熱が発生しても石臼が吸熱し、すり身の温度上 昇を抑制します。左の写真のように、蒲鉾工場では弊社 明治時代の蒲鉾工場 製品を何台も並べてすり身を作っていたのが分かります。 このように石川式撹拌擂潰機が蒲鉾製造に革新をもたらしたことにより、石川平蔵は 1926年(大正15年)に帝国発明協会より全国発明表彰有功賞を授与しました。 株式会社石川工場 〒135-0053 東京都江東区辰巳1‐1-8 TEL:03-3522-1018 FAX:03-3522-1017 info@ishikawakojo.jp E-mail: info@ishikawakojo.jp URL: https://www.ishikawakojo.jp/ その他の製品カタログはこちら
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■敗戦(写真左・中央) 1945年に日本は第二次世界大戦で敗北を喫しました。東京も大空襲を受けて焼 け野原になりました。幸いにも石川工場は全焼を免れ、残っていた社屋で事業を再 開しました。残った社屋は下の絵の大正時代から昭和初期に描かれた社屋です。 会社周辺には建築用の木材が積まれ、復興を目指していく姿が見受けられます。 ■糸川博士の石川工場での実験 1950年代になると東京大学生産技術研究所でロケット プロジェクトであるAVSA(Avionics and Supersonic Aerodynamics)研究班が結成されました。糸川博士 がプロジェクトリーダーでした。ロケットの燃料は固体燃料を 採用し、どこでも飛ばせるようにしたかったのですが、燃焼 効率を向上させるには課題がありました。複数の材料を より均一かつ均等に混ぜ合わせないと、燃焼にばらつきが発生し、安定した推力を得 ることができません。糸川博士はより均一かつ均等にまぜ合わせることができる機械を 探しました。その時に出会ったのが、石川式撹拌擂潰機でした。既に磁器乳鉢・乳 棒の採用がされ、火薬の撹拌擂潰にも使用可能でした。 糸川博士はもちろん多くのAVSAのメンバーが足を運び、三田四国町の石川工場で 材料を入れる順番、量など様々な条件を変え、多くの実験を行いました。 石川工 場で撹拌擂潰された材料を持ち帰り、圧延機で押し出し、富士精密の荻窪工場 内で燃焼実験を繰り返し、1955年、より推進力のある固体燃料の開発に成功した のです。 このように、魚のすり身を製造することから始まった石川式撹拌擂潰機は、創業当時 は全く想像していなかった科学分野で大きく貢献する装置へと変貌を遂げました。 株式会社石川工場 〒135-0053 東京都江東区辰巳1‐1-8 TEL:03-3522-1018 FAX:03-3522-1017 info@ishikawakojo.jp E-mail: info@ishikawakojo.jp URL: https://www.ishikawakojo.jp/ そおの他問のい製合品カわタせログははこちら
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■江東区辰巳へ移転 日本は1960年代から高度経済成長期を迎えました。そのなかで、三田四国町周 辺にも多くの工場が建設され京浜工業地帯の中核的な役割を担いました。一方で 住居も増え、人工も爆発的に増加していきました。1872年(明治5年)に芝区の 人口は5.6万人でしたが 、大正9年(1920)の第1回国勢調査時には17.9万 人と約3倍に増加しました。 1962年(昭和37年)、住所表示:三田四国町2 番には、1~413号まであり、 770世帯が住む大きな町となった (港区ホームペー ジより)。 1984年には東芝本社に地上40階の東芝ビルディングが完成、さら1990年には、 日本電気本社に地上43階建てNEC Super Towerが完成し、工場地帯は一気 にオフィス街へと変貌していきました。 同時に製造拠点はより郊外へ移転していきまし た。 残った工場とオフィス、住居との距離は近くなり、騒音や廃棄物が職場環境、住 民生活に影響を与え始めました。大正時代から立ち続けていた石川工場社屋も周 りの風景とそぐわない趣になっていきました。 一方、東京の臨海部は埋め立ておよび区画整理が進み、住居、商業施設、工場 などが計画的に誘致されつつありました。江東区は1980年代から1990年代後半に は、面積が30%も増加し、また、都営新宿線、有楽町線、ゆりかもめ等の開通によ り、臨海部へのアクセスが容易となった。 そこで石川工場は、2002年(平成14年)に港区芝三丁目(旧三田四国町) からより生産性向上と拡張性を目的として、工場により適した 立地条件、交通の利 便性を考慮して、江東区辰巳(現住所:江東区辰巳1丁目1番8号)への移転 を決めました。辰巳の由来は、江戸城の辰巳の方角(南東)にあるために名付けら れました。 現在の深川あたりを辰巳と称していました。辰巳の歴史は意外に古く、 株式会社石川工場 〒135-0053 東京都江東区辰巳1‐1-8 TEL:03-3522-1018 FAX:03-3522-1017 info@ishikawakojo.jp E-mail: info@ishikawakojo.jp URL: https://www.ishikawakojo.jp/ そおの他問のい製合品カわタせログははこちら
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1936年には辰巳橋が完成し、東雲、豊洲と接続されている。その辰巳橋のたもとに 新建屋を建築して、移転しました。新建屋は、オリジナル自動乳鉢である石川式撹拌 擂潰機の乳鉢を模した円形です。2階が吹き抜けで2階の廻りに廊下ある形となってい ますが、これも乳鉢の内部とフランジを模した形となっています。当社屋は擂潰機の設 計から製造まで一貫で対応できる機能を有しています。現在もこの社屋で、オリジナル 自動乳鉢の設計・製造・販売を行っています。 株式会社石川工場 〒135-0053 東京都江東区辰巳1‐1-8 TEL:03-3522-1018 FAX:03-3522-1017 info@ishikawakojo.jp E-mail: info@ishikawakojo.jp URL: https://www.ishikawakojo.jp/ そおの他問のい製合品カわタせログははこちら